命の価値

作者:沙羅衝

「暗くなってきたな。……帰るか」
 志藤・巌(壊し屋・e10136)はそう言って、少し分厚い本をパタンと閉じた。空はまだ少し明るかったが、西の空の方角では、日が落ちようとしていた。
 此処は巌が落ち着いて読書を嗜む事ができる、お気に入りの場所。静かで、他人の気配が無く、一人を満喫できる。とは言っても、そんな洒落た場所ではない。誰も使うことの無くなったビルや工場。つまりは廃墟である。そんな場所の一つのビルだった。
 巌は体に軽く反動をつけ、起き上がる。薄い地の服からは、彼の鍛え上げられた肉体が浮かび上がり、筋肉が躍動する事が分かる。
 そのまま階段に差し掛かかり、下りかけた。
「……」
 しかし、彼はそのまま振り返り、上りの階段の奥を見つめた。今は4階だが、この上は屋上しか存在しない。
(「誰だ……?」)
 首筋にぴりっとした感覚が、彼の鼓動を強くする。
 この感覚には覚えがある。それは、遠い記憶と共に蘇る。
 まさかと思いながら、彼はそのままゆっくりと階段を上り、いよいよ目の前に屋上へと繋がる扉の前に立った。
(「……居る」)
 扉越しに伝わってくる明らかなる殺気。巌はノブを手で握る。アルミ製のノブの冷たく、そして硬い感触。だが、そのノブの冷たさも彼の熱によって暖められ、すぐにその温度は彼の体温と同化した。
 ガチャリ……。
 彼はそのノブを回し、扉を開けた。
 びゅうという生暖かい風が、彼を向かい入れた。そして扉越しに感じていた殺気が、彼を直撃する。
「……よう」
 巌は一歩、屋上へと足を踏み入れ、目の前に居る者を直視しながら、それだけ言った。
「……」
 しかし、目の前の女学生の姿をした者は応えない。変わりに、口角だけ上げた。
 二人はじわりじわりと距離を縮め、構えを取る。
 そして巌がふうっと細く息を吐ききった時、その者は動いた。
 それはまさに、電光石火の業といった渾身の蹴りだった。

 ケルベロス達がくつろいでいる所へ、大変や大変やという声が聞こえてきた。その声にその場にいたケルベロスはその声の主のほうを見る。すると、宮元・絹(レプリカントのヘリオライダー・en0084)が、見つけたという表情で駆け込んできた。彼女の後ろには、リコス・レマルゴス(ヴァルキュリアの降魔拳士・en0175)が続いていた。
「皆ごめん。大変や……!」
 絹はそう言って、息を整えながら仲間達を見る。
「絹、これでも飲んでまずは落ち着け」
 リコスがそう言って差し出したペットボトルにそのまま口を付け、息を整える絹。
「リコスちゃん有難う。で、や。実は志藤・巌君が何者かに襲われる事がわかってん。分かった時には、もう彼に連絡を取ることも出来へんかってな、急ぎになるんやけど、救援をお願いしたい」
 巌といえば、武術を磨いた歴戦のケルベロスである。相手の数が一人と分かった時、仲間達の反応は、彼なら大丈夫じゃないか? という物だった。
「ちゃうで! 結構強い敵みたいでな、このままやったら巌君は、殺されてまう可能性がある程や!」
 いつに無く厳しい声の絹に、ケルベロス達は事の重要さに気が付く。そして、すぐに意を決して詳細を求めた。
「敵は女学生の格好をしてるみたいやねんけど、デウスエクスや。死神、カルペ・ディエム。どうやら斯刃・息吹(しば・いぶき)ちゃんという子の姿みたいやねんけど、詳細はわからん。
 攻撃方法は、掌底打ちで相手を怯ませて、連続で必殺の蹴りを叩き込んでくる。動きも早くて、こっちの急所を狙ってくるで。あと、自らを高める回復方法も予知できた。せやから、気を抜かんと対処するんやで」
 頷くケルベロス達。すぐにヘリポートに向かい、走り出した。そしてリコスもそれに続く。
「必ず助け出す!」
 こうして、ケルベロス達は現場へと向かっていくのだった。


参加者
生明・穣(月草之青・e00256)
望月・巌(昼之月・e00281)
マサムネ・ディケンズ(乙女座ラプソディ・e02729)
茶斑・三毛乃(化猫任侠・e04258)
ガロンド・エクシャメル(災禍喚ぶ呪いの黄金・e09925)
志藤・巌(壊し屋・e10136)
ブルローネ・ウィーゼル(モフモフマスコット・e12350)
峰岸・雅也(ご近所ヒーロー・e13147)

■リプレイ

●満身創痍
「ぐ……ぉ……!」
 志藤・巌(壊し屋・e10136)が受けた、死神『カルペ・ディエム』の左脚による蹴りは、鋭い突きであった。その蹴りは、速く、鋭く、的確に厳の鳩尾にめり込んでいた。カルペ・ディエムはその顔に残忍な笑みを浮かべたまま、左の掌を厳に打ち込むべく左脚を素早く引き、腰を屈めて左肘を引く。
(「や……べぇ……」)
 厳はその威力に思考が真っ白になるが、頭の片隅にある警鐘が危険を知らせ、無意識に体に反動をつけさせ、後ろに素早く反り返って飛んだ。
 ブン!!
 厳の残像を貫いたのは、カルペ・ディエムの左の掌底。だが、その掌が空を切っても、彼女はもう一つの腕を同じように繰り出す。
 ブン!!
 全く同じ挙動の左右の連打。それを連続のバック転により避ける厳。
 厳はそのまま後ろに飛び続けるが、追尾するようにカルペ・ディエムの掌が打ち込まれる。
 ガシャン……!
「ち……!!」
 厳の足に屋上の金網が当たる。またニヤリと嗤うカルペ・ディエム。彼女は頭を地面スレスレまで屈め、勢い良く一回転しながら、厳に飛び込む。
 ガァン!!!
 彼女の右脚の踵が、その金網を切り裂く。
「……愉しいなあ」
 カルペ・ディエムがそう言って、顔だけ厳の転がった方向を見る。厳はその必殺の蹴りを、何とか紙一重で転がりながら避けたのだ。
 厳はそのまま腕の力を使って宙を舞い、距離を取り、また構えた。
「そうは、思わないか?」
「……どうだろうな」
 厳は地面に顔をむけ、口の中に広がる血を息と共に吐き出し、そう応える。厳は腹に力を籠め、ゆっくりと息を整える。
『……破れるモンなら破ってみな』
 厳のグラビティが、体を覆う。それと同時に、鳩尾の傷が癒える。
「俺はテメエより弱い……が、諦めねェ」
「……覚悟は、出来たようだな」
 カルペ・ディエムは、右脚をとんとんとリズム良く進ませ、両腕をだらりとする。だが肘より上はいつでも攻撃に備える事が出来るように、構えられている事が分かる。
「何を待っている……?」
 厳は、自ら仕掛ける事をしなかった。最初の一撃で、明らかなる実力差が分かったからだ。その事を見抜いたのか、死神は問う。
「さぁ、な」
 厳の型は、明らかに守りの型である。両腕の拳を顔の前に構え、敵に甲を見せる。腰を落として、体幹を意識し、体重移動のみに注意を払う。
「ならば、そのまま死ね」
 その一言の後、いきなりカルペ・ディエムの体が眼前から消える。
「こっちだ」
 ドゴォン!!
 背後から神速の蹴りが打ち込まれ、吹き飛ぶ厳。そのまま、屋上と階段を繋ぐ扉の横の壁に叩きつけられた。
 ガラガラとその壁の一部が崩れ落ちる。
(「速ええ……!」)
 壁に打ち付けられ、前のめりに倒れこむ厳。
 目の前に見えるのは、屋上の床である。そこに自らの噴出した血が見えた。
 厳は、待っていた。
 仲間を。
 彼は知っていた。常に最善を求め未来を託してくれる戦友達を。事件の度に1分1秒惜しんで駆け付ける頼れる奴らを。
 そして、夕暮れに近づき、薄暗くなったその地面が、明るく照らし出された。
 その事に気がつき、厳は感謝を心に誓った。
「よっ、待ったかい?」
 待ちわびた声。起き上がりながら、その方向に手を差し出すと、ぱん、とお約束のタッチを交わす。
「藍華、巌君を」
「ネコキャット、アニキを」
 良く知っている声。良く知っているウイングキャット達。そのウイングキャットから、癒しの力が注がれていく。
 望月・巌(昼之月・e00281)と生明・穣(月草之青・e00256)、それにマサムネ・ディケンズ(乙女座ラプソディ・e02729)だ。
「化猫任侠黒斑一家家長、茶斑三毛乃。助太刀致しやす」
「志藤さんには色々とお世話になっているんです……! やらせるわけにはいきませんね……!」
 信じていた声。茶斑・三毛乃(化猫任侠・e04258)とブルローネ・ウィーゼル(モフモフマスコット・e12350)。
「じゃあ、僕は少し前を張ろう。峰岸くんにはライトをお願いするかな」
「オーケー! すぐに戻るぜ」
 そして、ケルベロスの仲間達。厳はガロンド・エクシャメル(災禍喚ぶ呪いの黄金・e09925)と峰岸・雅也(ご近所ヒーロー・e13147)を見て、心が震えるような感覚を覚えた。満身創痍だった心に、温かく、頼もしく、勇気が溢れた。

●形勢
「増えた……か」
 カルペ・ディエムはそう呟くが、たじろぐ様子はない。それどころか、両手を胸の前で拳一つ分だけあけ、集中を開始する。すると、その眼光に、蒼い光を蓄えた。
『千里眼の如く狙え!』
 マサムネが前を行くガロンドと雅也。それにミミックの『アドウィクス』、藍華、厳へと歌を届ける。その歌声は彼等の心に浸透し、より闘いへの集中力を高めていく。
「念には、念を入れておくか……」
 雅也は、マサムネの力を感じながらも、喰霊刀から魂のエネルギーを自らの力に変換し、最前列で刀を構える。
「念のために聞いとくか。シドー、俺も手伝っても良いか?」
 同じ字の名を持つ望月・巌が一つのバンダナをぎゅっ頭に巻きながら、そう問いかける。厳と厳は顔を合わし、お互いに言葉は発しなかった。その表情と、目だけでわかる。数秒だけ目をあわすと、互いに動く。
『らあああぁっ!!』
 二人の蹴りが、死神に対して打ち出された。死神は望月・巌の重力を載せた蹴りを細やかなステップを使い、必要最低限の動きで避ける。その隙を付くかの様に志藤・巌が電光石火の蹴りで貫こうとする。だが、その蹴りも死神には当たらない。
 どぉおぉおぉ……!!
 だが次の瞬間、穣がドラゴニックハンマーから竜砲弾を打ち放つと、漸く死神の体を弾くことが出来た。
(「機敏だなー。華麗というより武骨っつーか合理的っていうか。何かの流派かな?」)
 ガロンドはそう考えながらも、次に何が必要かを導き出す。
「もう少し、サポートが要るみたいだねぇ……」
 ガロンドがその敵と仲間達の状態を判断し、オウガメタル『ウラシマ』から輝く粒子を振り撒いた。その粒子は穣と望月・巌、マサムネ、三毛乃に纏わり付く。
 ガロンドが見抜いたように、カルペ・ディエムの強さの原点は、そのスピードにあった。狙いに長けたケルベロスでも、そのスピードに舌を巻くようでは、話にならない。
「さあ、此方もいくぞ」
 カルペ・ディエムがそう呟くと、目の前にいる雅也に神速の蹴りが打ち込まれる。
「ぐ……!!」
 その蹴りは雅也の右即頭部を捕らえ、ぐらつかせる。かろうじて差し込んだ腕による防御で、一撃で倒れる事は無かったが、その狙いの力には、恐怖を感じざるを得なかった。
 その様子を見た三毛乃が、満月のような光の珠を雅也に施す。
『隠れて機を伺いましょう!』
 ブルローネが霧を発生させ、少しの効果を倍増させるべくグラビティを後衛へと注ぎ込んだ。
 形勢はこれだけの人数のケルベロスに対して五分といった所だった。少しの油断が命取りとなる事は、すぐに分かった。
「待たせた」
 だがその時、リコス・レマルゴス(ヴァルキュリアの降魔拳士・en0175)と共に、増援のケルベロス達が続々と屋上に駆けつけてくる。
「志藤さん、無事ですか!」
「デウスエクスの中にゃロクでもねえモンがいるけどよ、死神に限っては全てにおいてロクでもねえな」
「志藤、まだ戦えるわね? 支援するわ」
 玄梛・ユウマが言葉を発して、いつでも飛びこめる位置で鉄塊剣『エリミネーター』を構え、嘉神・陽治と黒住・舞彩がが竜砲弾を放ちながら現れる。
 ヒールドローンを前衛に展開するのは、神崎・晟。彼の奥には、斯刃・八雲というケルベロスの姿も見えた。
 どどど……ドォン!!
 竜砲弾が炸裂し、そして突如とした爆発が起こる。
「やあシドー、助けにきたよ」
 最後の爆発は、自ら展開した鎖の上を歩いてやってくるライゼル・ノアールだった。
 彼等の姿を見た厳は、震えてしまう。なんという事だろう。仲間を信じ、待った。正直期待した。だが実際は、自らの期待を軽々と超えてしまう程だったのだから。
 厳は、有難う、と心で述べ、死神に向き合った。そして、気合の言葉と共に、拳を握り締めて叫んだ。
「……俺を、俺達をナメるな!」

●命の遣り取り
 ケルベロス達は、絹の情報から、正確にその対処方法を練りこんでこの闘いに挑んだ。そして、この増援の数は、五分だった形勢を、一気にケルベロスへと傾かせた。
 穣と雅也がオウガ粒子を展開し、望月・巌がファミリアで傷を広げる。そして、ガロンドが攻性植物により、その機動力を削いでいく。
 もっとも効果のあったのが、ブルローネの霧の力だろう。何しろ相手は素早く動きまわり、多彩な攻撃を避ける程なのだ。此方の攻撃がヒットする数は、今まで経験してきた敵の中でも、トップクラスに少ないだろう。その為、数回の攻撃ではその効果も薄かった。
 だが、ブルローネの霧は、その攻撃の効果を文字通り倍増させる効果を生み出していた。つまり、死神の動きが加速度的に落ちていく事を意味する。
 万が一、此方に攻撃が加えられたとしても、マサムネや三毛乃が素早く処置していく。
 そして、サポートの攻撃が付け加えられていく。
 カルペ・ディエムがその攻撃を、まともに食らい、倒れるようになっていった。
「くくく……」
「何が可笑しい?」
 打ち付けられた攻撃を気にする様子も無く、ゆっくりと起き上がる。
 自らの動きが鈍くなっていく感覚は分かっているはずだ。それでも死神『カルペ・ディエム』は嗤い、心底愉しそうな笑みを浮かべた。
「これが、これこそが命の遣り取り。くくく……」
 厳の問いに、それだけ答える死神。
「命に価値はありまさァ。故人を弄う真似が、禁忌である位には」」
 命に価値が無いとばかりに、軽く扱う死神に対し、寡黙に戦闘をこなす三毛乃は、その言葉だけ気にかかり、思わず口に出た。
「戯言だな。まあ、理解してもらえるとも思わないが……」
 自らの思考こそが全てといわんばかりの回答であり、ケルベロス達には決して同意する事が出来なかった。
「……」
 その答えに、厳は少し昔の事を思い出す。
 目の前には、幼馴染と同じ姿をした死神。決して『彼女』はそのような悪辣な笑みは浮かべない。その事は、自分が一番良く知っている。
「……ち」
 その彼女が彼女では無い事が、許せなかった。そして、その存在を許してしまった自分に対しても。
「ふぅ……」
 厳は少し大きな息を吐き、目を細め、眼光鋭く彼女を射抜く。
「……もういい」
 搾り出した言葉は、諦めの言葉なのか、何かを悟ったのかは他の者には分からなかった。
「そうか? もう少し愉しまないか?」
 死神は、その言葉を文字通り捉え、答えた。
「……殺してやる」
 厳はぶっきらぼうに言い、無言のまま自らの傷を吹き飛ばし、構えを取った。
 それがケジメだから。それが出来るのは、自分と決めていたから。それだけを決意した。

●時の流れ
 ドォン!!
 リコスの竜砲弾が、最後の攻撃の合図となった。雅也空の霊力を帯びさせた刀で、その脚の傷を広げる。そしてブルローネが爆破スイッチを押し、いつの間にか死神に取り付けていた見えない爆弾を爆破する。
『こいつでいこうか…』
 万が一も、相手に抗う力を与えぬよう、ガロンドが黄金に輝くルーン文字の刻まれた爪を突き立てる。その傷が、死神を死へと向かわせる。
『齧られちまえば脛に疵』
 狙い済ませた銃弾を打ち込む三毛乃。そしてマサムネがもう一度心に響く歌を歌い上げ始めた。
『好感度を売りにしてるからって、そこまで叩くこたぁねぇと思うが…世論が叩き易い方が良く燃えるってね。精々踊ってくれや。』
『消えぬ炎は怨嗟の色』
 望月・巌がビームを放つと、青い衝撃波を穣が放つ。すると、その死神は青い炎に包まれていく。
 もう、最期である事は、誰の目にも明らかだった。
 コトリ……。
 ライゼルは、一つの缶コーヒーを厳の傍に置いた。
「じゃ、頑張っておいでシドー」
 その黄色にギザギザ模様の缶コーヒーを見て、頷く。
 一歩一歩を、ゆっくりとこれまでの事を思い出すかの様に踏みしめ、そして対峙する。
 両拳を一旦胸の前でゴツと合わせた後、腰を落とし、左腕を伸ばし、右腕を腰に携えた。グラビティが最大限に集中される。必殺の一撃だ。
「あばよ。先に逝けッ!」
 どうっ!!
 鈍い音を立て、厳の拳が彼女の腹を打ち抜き、貫いた。
 彼女の額が厳の胸に預けられると、厳は左腕で確りと、倒れないように支えた。
 その時、彼女が口を動かし、何事かを呟いた。
(「またね、……ゲンちゃん」)
 発声はできていないのだか、厳にはそう言っているような気がした。
「ああ、もうちょっと暴れて、もっと色んなモンを壊してから、俺もそっちに逝く。……またな、息吹」
 左腕でポンと彼女の背中を叩く。
 すると、無邪気な笑みを浮かべた彼女は徐々に消滅し、きらきらとした霧の様に、空気に混ざり始めた。ふわりと軽くなる彼女の体は、もう手に取ることが出来なくなった。ただ一つ、『安全祈願守』と書かれた御守りだけが、厳の右手に遺しながら。
 厳はそのゆっくりと消える幼馴染みを見届け、煙草に火を点けた。紫煙が舞い、彼女だった物と共に混ざりあう。
「……どうだ息吹。弱虫毛虫のゲンちゃんも、ちったあマシになったかよ」
 厳はそう呟いて、煙を吐き出した。
 空には、既に星が瞬き始めていた。ケルベロス達が用意した光源が、その二つを照らし出した。

 涙は不思議と出なかった。
 ひょっとしたら、悲しいと思うには年が経ちすぎたのかしれない。ある種の清々しさと表現すれば、的確かもしれない。
「では、あっしはこれにて……」
「僕も帰るとしようねえ。サポートしてくれた皆には、僕から挨拶しておくから」
 他のケルベロスたちは、それぞれに動き出した。静かに、邪魔をしないように。
 一人、また一人とその光景を見ながら引き上げていく。
 厳は、そのケルベロス達に静かに頭を下げた。
 そしてその場には、穣ともう一人の厳、そしてマサムネと陽治が残った。何時でも何処でも駆けつけてくれる、厳の大切な仲間達だ。
 マサムネは笑顔でお疲れ様との言葉で出迎え、シドー、この後付き合えよと望月・巌と穣が誘う。
「話してくれよ、あの娘の事をさ」
「そうだ、な」
 世話になった事もあり、話さなければいけない事もあるだろう。厳はその誘いを快諾した。
「特に、その弱虫毛虫ゲンちゃん、を詳しく」
「そうだね。私にも、聞かせてくださいね」
「ん……。ああ……。もう、終わった事だしな。じゃあ、付き合ってくれるか」
 余り話さなかった事、それが哀しい事だったとしても、話すことで楽になる事がある。その哀しみを共有して良いと、迎え入れてくれているのだ。
 その事が、胸にしみた。

 厳はライゼルが置いていった缶コーヒーを、手に取った。
 その蓋を開け、一口飲む。いつもの馴染みの缶コーヒー。
 それは彼女が好きだった缶コーヒー。
 そして、自分も好きになった缶コーヒー。
 甘ったるく、極々僅かだが苦味がある、かもしれない缶コーヒー。
 厳は空を見上げながら、それをゆっくりと飲み干した。
 飲み干した後に見える光景は夜空だ。
 少しの風にまぎれて消えていく煙と、きらきらとした霧は、まるで一つの完成された演舞のように混ざりあい、そして、空に溶けていった。

作者:沙羅衝 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年7月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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