聖杯

作者:つじ

●救済の手
 鼻歌交じりに人込みの合間をすり抜けて、サイファ・クロード(零・e06460)は家路を行く。
 舌に残る味。耳に残る声。今日という日の思い出は、自然と足取りを軽くする。
 勉強の合間のこういった一時こそが、彼を支える活力となる、はずだったのだが。
「……何だよ、せっかく良い気分だったのに」
 軽やかな歩みが止まる。察しの良い自分を呪うように溜息を吐いて、サイファは行く予定の無い角を曲がった。

 迷路のような路地裏を進み、辿り着いたのは打ち棄てられた教会だった。
 この町にこんな場所があっただろうか。記憶を手繰りながらも、サイファは朽ちかけた扉を開く。中には、黒衣の男が一人。
「アンタ、何者だ? ……言っとくけど、玄人のオレを誤魔化せるなんて思うなよ」
 その言い草に吹き出して、薄く笑みを浮かべながら、その男は振り向いた。
「君こそ、こんな所で何をしている。悩み事でもあるのかな?」
「――は?」
 手にした大鎌、胸部を覆うモザイク、けれどそれよりも、フードの下のその瞳が、サイファの目を強く引き付ける。
「せっかくだ、悩みがあるなら打ち明けてみなさい。私なら、それを受け入れてあげられる」
 ドリームイーターの証であるモザイクが、触手を伸ばすように広がり、ゆっくりとサイファに迫る。

「せん、せい?」
 嘘だろう。その呟きがサイファの口から零れた。
 
●心の器
「皆さんお集まりください! サイファさんのピンチですよーっ!」
 ハンドスピーカーを手に、慌てた様子で白鳥沢・慧斗(暁のヘリオライダー・en0250)が呼びかける。どうやら、ケルベロスの一人がデウスエクスと遭遇することを予知したようだ。
「今のところ、まだ本人と連絡が取れていない状態です! 手遅れになる前に、一緒に救援にむかってください!!」
 サイファが遭遇するのは『セツナ』という名のドリームイーターだ。胸部がモザイク化している彼は、ドリームイーター特有のモザイクを用いた攻撃、または手にした大鎌を使用しての戦闘を行うようだ。
 幸いと言うべきか、敵が人を近付けないための仕掛けをしていたため、遭遇場所である廃教会の付近に一般人の姿はない。仲間の救援に集中することができるだろう。
「準備ができ次第発進しますので急いでください! それでは、サイファさんの救出お願いいたしますよーっ!!」


参加者
イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)
サイファ・クロード(零・e06460)
咲宮・春乃(星芒・e22063)
塩谷・翔子(放浪ドクター・e25598)
左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)
菊池・アイビス(くろいぬです・e37994)
一・チヨ(夜のこどもたち・e42375)

■リプレイ

●out of reach
「せっかくだ、悩みがあるなら打ち明けてみなさい」
 その声が、その微笑みが、サイファ・クロード(零・e06460)の世界を揺らす。
「私なら、それを受け入れてあげられる」
 先生。せんせい。探し求めていたものが目の前に。歓喜を謳う内心を、しかしケルベロスとしての理性が上回った。
 咄嗟に取り出した得物を振り回す。迫り来ていたモザイクの触手を弾き飛ばし、後退。
「……はは、ばーか。玄人のオレが、敵の顔が先生だったって程度で動揺するかよ」
「そうかい? まぁ、構わない。最初は皆強がるものだよ」
 残念そうに、だが面白がるように笑うドリームイーター。そうして距離を取った両者の間に、廃教会の門をくぐったケルベロス達が割り込んだ。
「サイファさん、大丈夫だった?」
 咲宮・春乃(星芒・e22063)、そして左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)がサイファに並ぶ。友人を救うべく駆け付けた彼等は、共に敵に鋭い視線を送った。
「友人かい? なるほど、今日は賑やかになりそうだ」
 モザイクを胸に収め、ドリームイーターが手にした大鎌を揺らめかせる。フードの下の表情は、穏やかなまま。
「あれが、『先生』か」
「……違う。あれはただのドリームイーターで、オレ達の倒すべき、敵だ」
 十郎の言葉にサイファが答え、オウガメタルによる金属粒子を展開する。迷うな、戦え。そう言い聞かせるような気配に、十郎と共に、イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)も頷く。上辺だけかもしれないが、それでも大事なものに爪を立てるのは苦しいだろう、そう慮って。
「分かった。攻撃は任せてくれ」
「良いさ、アタシは以前の恩を返すだけだよ」
 塩谷・翔子(放浪ドクター・e25598)もまた、そう言ってボクスドラゴンのシロを腕に纏いつかせる。彼女の場合は事情をそこまで把握できていない。が、それは『お互い様』だ。
 イブの気咬弾、翔子の轟竜砲に続き、西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)も前に出る。
 対するドリームイーターは、飛び道具の片方と、正夫を躱してそれに応じる。天井の高い教会内部を飛ぶように横切り、大鎌を一閃。
 それに対し、シロと共に前進した一・チヨ(夜のこどもたち・e42375)が、喰霊刀で迎え撃つ。
「――俺が盾になる。サイファ」
「ああ、頼んだ!」
 強力な一撃をどうにか押さえつけながら言うチヨに、サイファが頷き返してロッドを敵へと向ける。が。
「話の途中だったと思うがね?」
「悩みだったか? どうやってテメェをぶちのめそうか悩んでるとこだよ……!」
 すぐさまチヨを振り払ったドリームイーターは、そう言うサイファの一撃をも叩き落す。旋回する刃がさらなる斬撃を描こうとするそこに、もう一撃、轟竜砲が叩き込まれた。
「おう何よアンタ。ワシの相棒に用ありけ?」
 たたらを踏んだ敵へと砲口を向けたまま、菊池・アイビス(くろいぬです・e37994)がサイファと、ドリームイーターの間に進み出た。

「……相棒だってさ」
「ああ、ねーちゃんの相棒は俺がやるから」
 倒れた状態からさゆりに起こされて、チヨはイブを気遣いつつ、オウガメタルを解き放った。

●overdose
「サイファの反応見るに紛らわしい見てくれしとるようじゃが……黙ってみとる訳にゃあイケンのう」
「妬かないでくれないか。君の話だって、すぐに聞いてあげるとも」
「はっ、要らんわ」
 二射目の前に、ドリームイーターが身を躱す。朽ちかけた椅子を踏み越え、床を、壁を蹴って移動する黒い影に、チヨとサイファが追いすがる。弧を描く大鎌の刀身を、二人はそれぞれの得物で受け止めた。
「守る」
「ええ、倒れさせはしません」
 黒柄・八ツ音(ハートビート・en0241)の展開するドローンに合わせ、シャーリィンが鎖で結界を編み上げる。前衛を支える傍ら守りを固めて、その間に。
「狙える?」
「まだ難しそう、だから……!」
 ティアンの援護を受けてもなお、春乃の攻撃はドリームイーターを狙い切れるか怪しい状態だ。それゆえにメタリックバーストをより確実な者のために放つ。
 代わりに踏み込んだサイガの牽制を躱して、敵は一歩後退した。
「全く、今日は盛況だね」
「ああ、喜ぶと良い」
「まだ続くぞ。逃げ切れるとは思うな」
 休む暇など与えまいと、跳躍した梓が空中から仕掛け、さらに終が地を割る程の一撃で、受けた敵をよろめかせる。
 そしてドリームイーターが仕切り直すべく後方に跳んだ、そこに。
「ようやく跳んだね――そこで足止め食らっときな」
 洪霖。局所的に降るグラビティの豪雨に巻き込まれ、ドリームイーターが地に落ちる。
「ここにいて。どこにも行かないで」
「なっ――!?」
 続くのは、どこかどろりとした詠唱。サイファの手により敵の周囲の空気が粘度を増し、絡み付いていく。重ねられた足止め効果を十分にいかし、さらにアイビスのスターゲイザーが敵に突き刺さった。
「ざまぁないのう」
 敵を蹴り、軽々と飛ぶことでアイビスが射線を開ける。そこに掃射されるイブのガトリング弾から、ドリームイーターは体勢を崩しながらも身を躱した。
「――全く、人の話は最後まで聞くものだよ?」
 柱を盾に射撃をやり過ごし、次なる一撃のために駆け出したドリームイーターが笑う。まだ、それだけの余裕があるということか。
「君達の抱える苦しみも、悩みも、終わらせることができるというのに」
「それが『救済』か。悩みなんぞ、自力で答に辿り着かなきゃ意味が無いと思うがな」
 敵の動きに備え、再度金属粒子を散布しながら十郎が呟く。
「そりゃまぁ、望んで悩みたいなんて思った事ぁ無いけどね。それでもソレは全部その人のもんさ」
 翔子の言葉と共にシロが身体を伸ばし、大鎌の柄に絡み付く。忌々し気にそれを引き剥がした敵に、本命の轟竜砲が撃ち込まれた。
「進路のこと、これからのこと、わたしだって、いっぱい悩みはあるんだよ」
 大鎌の刀身を盾にそれを凌いだドリームイーターが、響く声に顔を上げる。そこには、春乃の履いたエアシューズが星の輝きを映していた。
「でも悩んで悩んで出した答えは、きっと納得のいくものになると思うから! この悩みは、わたしが解決しなきゃ意味ないの!」
 高速回転し、炎を噴き上げた車輪が叩き込まれる。吹き飛ばされたドリームイーターは、床を転がりながらも体勢を立て直す。
 そしてチヨの鈴の音に背中を押されたサイファが、その前に立ち塞がった。
「これまでアンタに喜んで喰われた人っていた? 皆必死に抵抗しただろ? そうやって精一杯もがくのが、生きるってことじゃねぇの」
 突き放すように言って、バールを振り下ろす。鉤になった先端と大鎌の柄がぶつかり、軋む音色が廃教会に響いた。

「――彼等の言う事は一理ある。それに、あの娘の決意はとても尊いものだ」
 音の切れ間を狙ったように、落ち着いた声が差し込まれる。
「けれど、人の悩みはそれだけでは済まないだろう。それに――それだけでは、余りにも寂しい」

 どろり、と。セツナ・クロードの胸部からモザイクが溢れ出した。

「誰かの苦しみに寄り添いたいと思ったことはないか? 誰かの痛みを和らげたいとは? 代われるものなら代わってやりたいと、願った事もないのかな?」
「な――」
 触手のように蠢くそれが、サイファを捉える。
「今の私ならそれができる。……サイファ。君が医師を志したのも、そのためじゃないのか?」
「――」
 フードを取った彼が、穏やかに微笑みかける。

 せんせい?

●BadTrip
 フードを取ったドリームイーターが、邪に笑う。
「『皆必死に抵抗したか』と聞いたね? 否だ。私は『揺り籠で眠れ』と言っているだけだよ」
「口車を誇っとるのか? 笑わせるのう。そんな事よりも――」
 サイファを放せ、とアイビスが前に出る。身体を巡る螺旋を、指先に纏わせたそこで。
「――あ?」
 横合いからの打撃に襲われ、中止を余儀なくされる。
「ありがとう、サイファ」
 バールを手にし、アイビスを攻撃したサイファにそう声をかけ、ドリームイーターはまた鎌の切っ先でケルベロス達の首を狙い、動いた。
「あ、オレは……?」
「サイファ! しっかりしろ!」
 万里に肩を揺さぶられ、サイファの目に光が戻る。
「催眠効果だな。待ってろ――」
 万里と共に十郎がサイファの胸に光弾を撃ち込む。治療と共に身体の活性化を図っているのは、この後、まだ彼にはやるべき事があるため。
「大丈夫か、本当に?」
 気遣うような言葉と共に、十郎はサイファの目を覗き込んだ。彼の場合は、普段の交流の中で『先生』の情報を得ている。それゆえに、サイファの現状には無関心ではいられない。サイファもそれが分かるからこそ、平静を取り繕おうとするが。
「あ、ああ。そうだ、アイビス――」
「混乱させられとったんじゃろ。気にすんなや」
 言葉少なな返答に、謝罪の機会を逸してしまう。大丈夫か、という十郎の問いにも、サイファは上手く答えられないでいた。
 割り切ったつもりだった。もしくは「先生ならあんな事は言わない」と、真っ向から否定してしまえれば良かった。
 しかし、確信は揺らぐばかり。普段先生が何を考えていたか、予測はできるだろう。だが答え合わせの出来る者など、ここにはいない。
 そんな彼の傍らに立ち、ティアンと春乃が口を開く。
「サイファを狙うならティアンの敵だ。ティアンがここに来る理由は、それだけで十分」
「そう、おともだちのピンチにはちゃんと駆け付けるんだよ! すこしでもサイファさんの力になりたいから!」
 彼女等の在り方はとてもシンプルで、問い掛けもまた、率直なものだった。
「サイファは、どうしたい?」
「オレは――」

「その顔で……サイファの大好きな先生の顔で! モザイク垂れ流して『救済』を語るな!」
 翔子の放つバスタービームの閃光に続き、ハチが縛霊手の拳でドリームイーターを打つ。眩い光と共に爆発が巻き起こるが、敵はその煙の下を潜って駆けていく。
 状況の打開を期してだろう、一点突破を目指す敵の動きに、チヨが反応した。
 振り下ろされた刃を眼前で防ぎ、敵を押さえつけるようにした彼は、眠たげな眼のままに相手を窺う。
「……救済なぞと、笑わせてくれる」
「概ね同意見だよ」
 救いだのの言葉に懐疑的なチヨの一言を、ドリームイーターはあっさりと肯定した。
「しかし誰にも、見えぬ誰かにも頼れないのなら、私がやらなくては」
「チヨ、どいて」
 並べられる言葉を遮るような声に、チヨは反射的に後退、そして自らがモザイクに囲まれつつあった状況を悟り、眉根を寄せた。
「生憎、あんたの腹には、収まってやれないな、去れ」
 入れ替わりに、飛び来た薔薇の刻印の大鎌がドリームイーターの身体を深く抉った。弧を描いて戻ったそれを前進しながら受け止め、イブはさらなる追撃にかかる。
 輝く三日月と、切り取られた闇のような刃が互いを噛み合う。
「救済なんて聞いて呆れる。彼を救うのは他でもない、彼自身だ」
「そうか。ならば君達はずっと唱えていたまえ。『自分で何とかしろ』とね」
「言われなくとも。サイファくんなら何とかするさ」
 言い切られたそれに、虚を突かれたように、ドリームイーターが言葉を詰まらせる。
「アンタの言う救済は、願い下げだってさ。お生憎様」
 シニカルな笑みを浮かべた翔子が、後列から敵を指差す。サイコフォース、突然生じた爆発に巻き込まれ、ドリームイーターが大きく仰け反った。
「月に捧げましょう……その御身、御心……全てが朽ちるまで……!」
 続くはルナ・ヴァンデッタ。シャーリィンの唄が呪縛の鎖となって、敵を縛り付ける。反撃も、追撃も阻害したそこへ。
「――今だ! サイレンナイッ フィーバァァァァッ――!!!」
「おっと、早いな。……でもこれくらいは、合わせられるよね?」
 ウルトレスの指先が疾走感溢れるサウンドを掻き鳴らす。戦意を高揚させるデスメタル調の音色に弥鳥のギターが乗って、音の波と共に金属粒子が舞い上がる。
 そんな即興曲を、彼女のブレスが引き寄せる。イブが歌い上げるのは、【聖戦】。賛美するためではく、この悪夢を振り払うためならば、これもまた相応しい形か。
「Holy, holy, holy. Lord God Almighty. ――どうか去りゆく魂に、安らぎをお与えください」
 攻撃手の本領を詰め込んだようなその衝撃に、ドリームイーターは表情を歪めて身を竦ませた。

 公正であれ、と先生は言った。
 人はいつだって感情で動く。だからこそ、努めてそうあるべきなのだと。
「あれは救済なんかじゃない。只の食欲にご大層な理由をつけてるだけだ」
 どれだけ『あの人』のように感じられようと、あれがドリームイーターである事に、変わりはないのだから。
「――オレは、あいつを止めなきゃいけない」
「分かった。止めさせよう、こんなこと」
「うん――だいじょうぶだよ、おほしさまの力、感じてね!」
 ティアンの御業が敵へと伸び、春乃の呼んだ星が光の道を形作る。
 背を押されるように前に出て、背を向けようとする敵に向かって、サイファは口を開いた。
「……いっちゃヤダ。もう、遠くにいかないで」
 それでも結局、出てきたのは、縋りつくような掠れた声。
「サイファ、君は……!」
 そのグラビティの名は『聖杯』。胸の裡から吐き出されたそれは、透明な泥の如く対象を絡め取る。
「――ほいじゃあこれで」
「ほぉら、綺麗」
 辰。そして絲裁。アイビスとサイガの連撃が、もがく敵を泥沼の奥へとさらに押し込んだ。
「おっと、途中退場はご遠慮ください、てやつだ」
 逃げ場を切るようにウルトレスが、そして、終と梓が立ちはだかる。
「きみの訣別は、邪魔させない」
「サイファ、どうか、君の望み通りに」

 別れを唄う、イブのセレナーデが終わりを迎える。手招きするように、彼女はサイファの方を見た。
「さあ、サイファくん」
「アンタの縁だ。アタシの仕事は、ここまで」
 一歩退いた翔子と同様に、アイビス達もサイファのために道を譲る。
「……なんもかんも納得いかんよな。けど『この人』はお前が引導渡してやるべきなんじゃ」
「あんたがさよならを言って、やって」
「うん、きっとそれは、あなたにしかできないことだから」
 チヨと春乃の言葉に次いで、十郎はそっと彼の背を押した。
「……今は、腹を括る時だ」
「心置きなく決めてくれ」
 そう言うイブの隣を抜けて、サイファは一歩、前に出た。

「そうか、君の苦悩の種が、私であるなら……」

 詐欺師の顔で、ドリームイーターが笑う。
 全てを受け入れたように、先生が笑う。
 これはやはり催眠の効果によるものか、自分の願望がそう見せているのか、それとも、本当に。懊悩の中でサイファは進む。踏み出した足はもう止まらない。
 やらなくてはならない。
 名前も、居場所も、口癖も。胸に抱いた夢でさえも、全部彼がくれたもの。
 それでも。
「――大丈夫、やれるよ。俺は、ほら。玄人だから」
 振り上げた右腕が震える、もう片方の手も添える。戦慄く喉が、形の定まらないものを勝手に絞り出す。
 死角から、四方から迫るモザイクの中を突っ切って、構えたバールの切っ先を、彼の胸へと打ち込んだ。

 愛してるよ。
 先生はオレの自慢の父親だ。

 頭の中では、ずっと同じ言葉が回っていた。

●零に至る病
「……先生に褒められたくて頑張ったのに、目標がなくなっちゃった、な」
 胸に空いた虚を確かめるように、サイファが誰にも聞こえないような声で呟く。いぶき等がヒールを施した後、「少し休んでから帰るよ」と、彼はそう言って目を伏せた。
「帰ろうか。こっちは多分、大丈夫さ」
 そんな翔子の言葉に一度頷いて、八ツ音がそれに続く。
 薄情、に見えなくもないが。それでも、翔子は一度振り返ってから、また歩み始めた。
「サイファさん……」
「……」
 心配そうにサイファを見遣る春乃とイブの背を押して、アイビスが方向転換を促す。
「行こうや」
 今は、掛ける言葉はない。これはきっと、彼だけの問題で。
「俺も、先に戻ってる」
 誰にともなく、チヨもそう呟いて、彼等に先立って歩き始めた。
 サイファの肩に一度手を置き、十郎もまた踵を返す。残っていた者達も、それぞれにその後に続いた。

 暗闇の中を揺蕩う時間が、今のサイファには必要だ。
 それでも、いつか立ち上がる時は必ず来るはず。

 その時には、きっと、彼等が傍に居る。
 待っているから。おかえり、と伝えるために。

作者:つじ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年7月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 2/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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