雨の後夜祭

作者:七凪臣

●傘と牙
 ちりん、ちりん。
 傘布を滴が叩く度に、露先に結びつけられた鈴が、鎮守の森に軽やかに歌う。
 りりん、りん。
 一の鳥居から、二の鳥居へ。そして拝殿近くの三の鳥居まで。続く参道には大輪の紫陽花のように、無数の傘が並べられていた。
 ――傘供養。
 長い雨の季節が終わりを迎える頃、人々から納められた傘に最期の花を咲かせさせる祭。
 様々な色や柄の傘たちに彩られた参道は、異界へ通じるが如き不思議な眺望。故に、地元の人のみならず、写真愛好家など多くの観光客も訪れる。
 心洗われるような、安らぐような、浮き立つような。そんな一時が約束された祭――だった、筈なのに。
『グラビティ・チェイヲ捧ゲヨ!』
 玉砂利へ転んだ拍子に、母と繋いでいた手が解かれた子供の背へ、赤い剣が突き刺さる。
『恐レヨ、ソシテ憎ムガイイ!』
 恋人の姿を探して足を止めた少女の横顔を、無慈悲な拳が殴り壊す。
『ドラゴン様ノ糧ト為レ』
 灰色の雲の切れ間から茜色の空が覗く時分。降り注いだ牙の雨が、人々の絶叫を奏で始めた。

●或る盛夏の始まりの日
 傘供養なる祭が竜牙兵の襲撃を受ける。
 ――皆さんの楽しみを邪魔するなんて、無粋極まりないです。
「竜牙兵が現れます」
 懸念を憂いで結んだ春日・いぶき(遊具箱・e00678)の呟きを思い出し、リザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は哀を視線に滲ませ、しかしはっきりと予知した未来を口にした。
 場所はとある神社。被害に遭うのは、祭に訪れていた人々。竜牙兵の出現地点が変わってしまうのを防ぐ為、事前に避難勧告を出す事は出来ない。
「ですが急ぎ現場へ向かえば対応は十分に間に合います」
 警察などに任せられる避難誘導のサポートを請け負うという六片・虹(三翼・en0063)を輪に加え、リザベッタはケルベロス達に凶事の詳細を告げる。
「竜牙兵の数は四。回復に優れたゾディアックソード装備が二体で、此方の攻撃を躱すのを得意とするバトルオーラ装備が二体という編成です」
 竜牙兵が逃亡を目論むことはない。但し、ケルベロス側が隙をみせれば、避難した人々を襲おうとする恐れはある。
「戦場は二の鳥居から三の鳥居へ続く参道の中ほど。休憩用の椅子なども置かれた広場になっていて、多くの傘が飾られている地点になります」
 戦いに直接巻き込まれれば、傘が壊れてしまうのは仕方ない。だが余波を受ける程度なら、風に煽られ転がり累を免れる事も出来るだろう。
「祭を『中断』に留められるよう、頑張って頂ければと思います」
 無事に祭を再開できる状態であったなら、風情を楽しんでくるのも良いとリザベッタは続ける。
「皆さんが到着する時点では雨が細々と降っていますが、日暮れには止む予報が出ています。陽が落ちると、傘の内側に小さな灯を立てるそうですよ。傘灯籠の出来上がりですね」
「傘の色、模様の分だけ、様々な光が出来上がる、か。幻想的だな」
 リザベッタの説明に光景を思い浮かべたのだろう。虹も興味に目を輝かす。
 しっとりと夕暮れの雨音を愛でるもよし、雨上がりの幽玄に身を浸すもよし。無論、全ては竜牙兵撃退が上手くいったらの話だが。
「しっかりと牙の雨を止めて来て下さい。宜しくお願いします」


参加者
バレンタイン・バレット(ひかり・e00669)
春日・いぶき(遊具箱・e00678)
砂川・純香(砂龍憑き・e01948)
佐久間・凪(蝕む時間・e05817)
王生・雪(天花・e15842)
斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)
小鳥谷・善彦(明華の烏・e28399)
ダリル・チェスロック(傍観者・e28788)

■リプレイ

 茂る緑の天井から零れてきた滴が、傘の上で跳ねて、転がり。鳴らされた鈴が、りりんりりんと雨の暗がりに鮮やかな音色を響かせる。
 長く続く参道の脇に、無数に並べられた傘。あるものは生地に大輪の向日葵が掠れ、またあるものは親骨が曲がり、またあるものは手元や露先を失い。けれど何れも『最後』まで使い込まれたのだと、一目で分かるものばかり。
 その内の一張り。大きな蝙蝠傘の影に、頭上の耳をぺたりと折ったバレンタイン・バレット(ひかり・e00669)は潜む。
「せっかく、こんなにキレイなんだからなっ」
 ヒトの為に尽くした傘の群れの姿を「キレイ」と讃え、バレンタインは腹を括る。
 この景色は、守らねばならぬもの。
 正しく送り出してやらねばならぬもの。
 その決意を嗤うよう、空が割れた。優しい雨を薙ぎ払い、四本の牙が突き刺さる。
「このお祭りを、荒らさせる訳にはいきませんから!」
 バレンタイが隠れていた近くの木陰から、佐久間・凪(蝕む時間・e05817)が参道へと飛び出す。
(「しっかり倒して、いつも通りに供養が行えるように。そして、皆さんがお祭りを楽しめるように!」)
 雨を厭わず、凪が玉砂利を蹴って兵士へ姿を変えた牙の異形目掛けて吹きすさぶ。その視線の更に先には、黒のシルクハットに雨を遊ばせるダリル・チェスロック(傍観者・e28788)が既に立っていた。
 黄硝子の奥の藍瞳をつと細め、ダリルは黒衣を翻し大鎚を構える。彼の背後では、虹らが人々の避難誘導を開始していた。
 懸念すべきコトは、何もない。ならば――。
「祭りに割り込む無粋にはさっさと退場願いましょう」
 全力で打ち出された竜の砲弾が、敵の一つを激しく打つ。
 ケルベロス達の挟撃に気付き、竜牙兵たちがざわつく。けれど異形の兵が動くより早く、ダリルの戦意に導かれた砂川・純香(砂龍憑き・e01948)が嘯くように詠った。
「どうぞ、無理せず瞼を閉じて」
 純香自身、傘はあまり差さぬ性質。でも、感謝を込められた供養の姿は、尊く、好ましきものだから。
 過ぎた無粋は見過ごせぬ泣き黒子の魔女は、人の子らに安寧を撒くよう柔く笑み。
「おやすみなさい、左様なら」
 牽制の子守唄は影の檻。例え、捕らえられずとも構わない。気を惹けるだけで、まずは十分。


 りりりりと警鐘を奏で、傘たちが戦場より転がり出る。それを安堵の気持ちで見送った春日・いぶき(遊具箱・e00678)は、ふぅと一息。瞬く間に態勢を整える仲間達を、祈りで満たす。
「花咲く水を、注ぎましょう」
 降る雨に混ざる、九重葛の加護。宿された一途さは、敵へと向かう視線に強さを与え。恩恵に与った小鳥谷・善彦(明華の烏・e28399)は濡羽鴉の翼で低空を叩き、一気に前線へと舞い至る。
「させねぇよっ」
 襲い来た拳を、顔の前で交差した腕で善彦は凌ぐ。だが、敵の数は四。
「絹」
 王生・雪(天花・e15842)の願いに応じ、主と揃いの衣を風に翻したウイングキャットが我が身を盾とし、気迫の一撃からいぶきを庇う。
 予測された竜牙兵出撃地点を挟み展開されたケルベロスの陣は、デウスエクスを見事に包囲の網で捕らえてみせ、
「させません」
 掻い潜ろうとした剣持つ牙をも雪の月薙ぎの刃が追って断つ。
「残念ですが、あなた方に逃げ果せる術はありません」
 隙の無さを知らしめるよう、斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)が薄く笑む。
『オノ、レ……ッ』
 口惜しさを吼える竜牙兵の語尾が、朝樹の黎明の眼差しに怯んだ。囚われる、逃れられない。覚悟の直後、ぐんと伸びた武術棍の先端が骨の喉を突く。
『ッ、ハ』
 圧倒的破壊力を齎す朝樹の一撃に、頭蓋が大きく傾いだ。
「仕留めます!」
「まかせろ!」
 訪れた好機に凪が身構える。同時に、バレンタインも雨空に跳んでいた。
「世界の『心』をその身に刻むといいですっ!」
 間合いは開けたまま凪の放った蹴りは、風の牙となって竜牙兵の脚を喰らい。
「臆病風に、吹かれろよ!」
 足元を鳴らした途端、風の弾丸をバレンタインが撃つ。零距離からの疾風は、鎌鼬にも似て。不可視の刃を生んで最初の終りを竜牙兵へ呉れる。
「では、」
 間髪入れずに、ダリルが光翅で雨空へ跳ぶ。既に心は次へ。油断は欠片もない。

 牙の雨の、まこと無粋なる哉。
 ――然れど、止まぬ雨無し。
「地を、神域を。穢した罪を贖いて逝きなさい――天翔け告げよ、黎明のとき」
 ただ静かに、ただ怜悧に。そして優美に神楽を舞うよう得物を振るい。朝樹は宵闇を裂いた果て、開いた黄泉時へ二つ目の竜牙兵を葬り送る。
 残る二に、雪と純香が顔を見合わせ頷き合う。一足先に飛び出したのは雪だった。白い翼に弾かれた雨が、雷帯びた刃の突撃が生んだ圧に跳ね散る。
 牽制に徹したからこそ理解できる、敵の疲労度。雪が定めた新たな標的を、純香も追う。が、
「その前に」
 引き留めいぶきが、純香を中心に一途なる加護を宿す。足に優れた敵に対する、十全の策。
「ありがとう」
 ふふ、と礼を微笑んだ純香は、その笑顔のままデウスエクスを観た。
「恐れ、憎む?」
 そう叫んで人を襲う竜の眷属。されど果たして、何をどうしてそうせよと言うのか。弱きばかりを狙う相手に、そのようなもの純香には抱けない。
「糧が欲しければ、こっちへいらっしゃいな」
 逆に、啼かせて差し上げます。
『ッ!』
 侮られたというのに、雪の一撃の余韻から逃れられぬ竜牙兵は怒気を吐いただけ。そして呪いにも似た低い微笑に捉えた竜牙兵を、純香は弾む足取りで蹴り倒した。
 よろめいた骨に、絹も爪をたてる。そこへ――凪だ。
「これで、終わりです!!」
 鎮守の天蓋をも超える跳躍は、天を貫く流星。大翼をはためかせる靴で空を翔け、降下の加速を借りた凪が一蹴り。そうして着地に合わせてのもう一蹴りで骨の兵士の全身を砕ききる。
「これで残るは、お前だけだな!」
 四いた筈が、遂に一。勢いよく跳ねたバレンタインは、まるで小さな太陽。エネルギーの塊の仔ウサギ少年は一瞬で空を渡って、竜牙兵を蹴りで穿ち。
「――喰らいな」
 いぶきによって底上げされた命中率を信じた善彦は、迷わず踏み込み。濡れた地面でなお足に灯した炎で、『的』を重く射抜いた。

 白い先、仄かな青に色付く髪を乱戦の余韻に遊ばせ、ダリルは経た時を振り返る。
 講じられた万全の策は、ケルベロス達に圧倒的勝利を齎した。人への被害はおろか、飛ばされた傘たちも殆ど原形を留めている。恐らく、完勝と言って良い結果だ。
「いいえ、結果はこれからですが」
 かち、こち、かち、かち。忍ばせた懐中時計が刻む音を肌で拾い、ダリルは最後の一へ肉薄する。
「鳴り響けよ雷」
 敵の懐へ飛び込み、ダリルは天を呼ぶ。刹那、厚みを増す雲。
「その閃光を知らしめよ」
 得物の切っ先で示す標的。導かれた雷は轟き、竜であり、流であり、琉と耀き大気を裂いて、竜牙兵を激しく撃った。
『ウ、ウウ、ウ』
 燃え尽きる間際のデウスエクスに、反撃の気配はない。だが情けは無用。
「凜冽の神気よ――」
 トドメは雪。凍てた白を靡かす冴えた剣閃は、真冬の六花を夏の初めに咲かせ。差し込む夕日に赤く煌き乍ら竜牙兵の命ともども散り逝きて。
 訪れるのは、鎮守の森の静寂。
 神域に戻りし清き気配に、朝樹は非礼を詫びるよう深々と頭を垂れ、争いの終りを告げた。


 ――お前さんの事だから問題なく終わらせてきたのだろう。
 多くを失くした過去。その頃から上司であり、友人でもあった信倖の労いに、「そんなもんです」と善彦は笑みで返し。そして今。各々の手には、供養して貰おうと持ち込んだ其々の傘。
 納めた傘は神職の手に渡り、露先に一つ一つ銀鈴が結わえられてゆく。
『丁寧に使い込まれた、良い傘ですね』
 かけられた巫女の言葉に、信倖は僅かに目を細める。遂に今年の梅雨で駄目になってしまったが、幾度か補修して使い続けた傘だ。褒められて、悪い気はしない。
「ただ処分するのみかと置いていたが良い機会を頂けたものだ」
 稀有な出逢いに謝意を述べると、誘ってくれた腐れ縁も壊れた傘を納め、「ですね」とさり気なく思いに寄り添う。
 供養と言って善彦が真っ先に思い浮かべるのは、どんと焼き。
「物の気持ちなんて考えた事も無かったが、ただ捨てられちまうよりも良いんすかね」
 予想だにしていなかった傘の供養に善彦の驚嘆は未だ拭えぬが、丁寧に整えられていく様を眺めるのも、また悪い気はしない――から。
「見送ってやるとするか」
「そうすね」
 二人の傘は拝殿近くに配されると聞き、先に立って歩き出す信倖を、僅かに遅れて善彦が追う。
「……見送られるというのは、良いものなのだろうな」
 竜の背から聞こえた呟きは、未だ止まぬ雨に濡れ。潜む感慨に敢えて触れぬ天使は、横に並ぶ。
 送る旅路は、相手の気持ちあってこそ。意思ある者へも、無き物へも、それは恐らく同じ事。

 本当は、日傘など必要ない。
「日差しに弱いという嘘を、今日、置いていきたい」
 納めた日傘を見送るいぶきの懺悔に、結弦は静かに耳を傾ける。
「僕は僕のために幾つもの嘘を吐いてきました」
 今さら清算できるとは思っていない。けれど、一つでも減らしたい――想い交わした、貴方へだけは。
 炎天下が苦手な結弦と揃いになって、一つの傘に入るのも素敵と思えた。でも、でも。
「――僕が自分で。貴方の側に相応しいと思えるように。そんな我儘を……お許しください」
 垂れた頭。顔に掛かる髪を、雨が伝う。しかし滴は玉砂利に落ちず、悪戯な指に攫われた。
「そっかー」
 覗き込む、結弦はいつも通り。だって、いぶきがいぶきや自分の為に吐く嘘は許すと伝えてある。その気持ちは変わらない。
「確かに、傘は君にとって都合の良いものだったかもしれない。けれどね、」
 ――君を護るものでもあったと思うよ。
 肩肘張らぬ結弦の笑顔に、いぶきの心もほろほろ溶ける。
「ね、いぶくん。今度、日傘買いに行くの付き合ってよ」
 今日、お疲れ様とありがとうで送り出す傘の代わり。そして、一緒に沢山お出かけする為の必需品。
 君に、選んで欲しい。そして。
「いぶくんが差して、僕を入れてくれたらうれしいなー」
 様々を含むようでありながら、結弦の屈託なさに、いぶきは飲まれ、包まれ、満たされる。
「それは、勿論、喜んで」
 ……ありがとうございます、ゆづさん。
 告げる感謝は耳元へ。交わす約束が、明日を結ぶ。
 しかし、まずは。
「では、傘灯籠を見て回るとしましょうか。ゆづさん」
 傘の並べ直しも手伝ったのですよ、とようやく表情を緩めたいぶきの誘いに、一も二もなく結弦は頷く。
「いいねー。ねぇ、一緒に写真も撮ろうよ。たくさん!」

 りりん、りん。
 ちり、ちりん。
 差し込む西日に色付く雨を肌で受けながら、純香は参道をそぞろ歩く。つい口遊んでしまう鼻歌は、鈴音との即興曲。
 大事にされたものへ込めた感謝が伝わる風景は、自然と心を柔く凪ぎ――祈りを、紡がせる。
「こういう祀り方をする……綺麗ね」
 ずっと共にあった雨にも送られ、傘は逝く。
 それは、きっと。恵まれた、終焉。
「おやすみなさい」
 二匹のヤモリも滴に遊ばせ、純香はつとめを終え、眠るのを待つ傘の道を暫し楽しむ。


 物の供養をするのは不思議な感じがすると、ダリルは言った。
「感謝の気持ちからなのでしょうか? 或いはここに何かの命が宿っている気がします」
 ただ、そこに在る。傍観者である筈の男は、内側から淡く緑に灯る傘をそっと撫で、首を傾げる。
 見渡すと、鬼火のような傘の群れ。このまま歩き続ければ、何処か異世界へ連れていかれそうな心地。
「それはそれで、面白いんじゃないか?」
 約束されたのはエスコート。だのにダリルの半歩前を歩く虹は、感傷なぞ知らぬ気配でからりと笑う。
「日常の裏側に迷い込む魔法でもかけられたようだ」
 幻のような光景を『日常の裏側』と。そう評する虹に、ダリルはふと思い出す。
 異界とこの世界は存外、近しいものであるということを。
 送り、送られる祭。
 されど祭と言えど、心弾ませ足浮き立つものではなく。
(「たまには、こういうしっとりとしたものも悪くないです」)
 すっかり上がった雨の名残に、傘灯籠の光がゆらゆら揺らめく中を凪は、雲の上を歩む心地でゆく。
 だが――。
「……」
 目に留まった子供用の黄色い傘に、凪の心はざわめきを覚えた。
 脳裏に過った、子供の時分。兄と一緒に遊んだ、雨上がりの公園の景色。
「濡れた滑り台や水溜りに、はしゃいだりしましたね……」
 誰に聞かせるつもりもない呟きを攫う人波に視線を馳せても、そこに求める人の姿はない。
 嗚呼。
 兄は、今。何処にいるのだろう。

『だから言ったろう? どんなに手強いヤツでも、オレが負けるわけないって!』
 ユルの心配もどこ吹く風。文字通り、ぴょんと跳ねて一の鳥居まで駆けつけ、ユルが用意した雨を拭うタオルに迎えられたバレンタインも、今は息を飲んで傘灯籠に見入る。
「なァ、ユル。こうもいろんな色があると、花畑にいるような気分にならないか?」
 背伸びしたい年頃の少年の、明るい例え。生まれ育った大自然の一頁に准えるバレンタインに、ユルも、ふふ、と笑み崩れた。
「そうね。珍しい柄の傘花がたくさん」
 赤、黄、紺、緑に黒。花に魚に、街に星に空。無数の傘に、無数の灯。
「こういうの何て言うんだったか……ヒニチジョウ?」
「非日常、ね?」
 視線を移ろわせ、ぼうっと呟くバレンタイン。その覚束ない響きにユルは意味を持たせ、少年の視線を追う。
 確かにこの光景は、夜に浮かぶ灯りの花園。幻想の空間。
 一つ一つの光に、詰まっているだろう思い出が。この彩をより美しく魅せているのだろうか。
「ね、バレくんはどの柄の光が好き?」
 囚われかけてユルは、囚われているバレンタインをそっと手招く。けれど少年が灯りに重ねていたのは、過ぎ去りし風景ではなく、姉とも慕う一等星。
「ッ! お、オレは」
 柔い温もりに、つい懐きかけたバレンタインの心で、むくりと首を擡げたのは年相応の反抗心。この優しい光たちがユルに似合うなんて思っていたとは到底、口に出せず。
「この太陽みたいなひかりがいい」
 見つけたオレンジ色に走り寄り、今度はバレンタインがユルを手招く。
「ユルは、どのひかりが好きなんだ?」
 返された問いは、戯れのようで、純粋な興味のようで。瞳に灯を耀かせるバレンタインに、ユルはまた「ふふ」と笑って傘灯籠を一望した。
「こんなに沢山あるんだもの。まだ決められないかしら?」
 ほらほら、今夜は忙しいですよ――わざと畏まって、バレンタインの笑いを誘い。そうして二人は、並び未だ見ぬ傘花を探して歩き出す。
 ――なんとなく。ユルとこの景色を見たいと思った。だから、よかった。
「迷子にならないよう気を付けて?」
「オレは、平気だ! ユルこそ、きをつけるんだぞっ」

 ぽつ、ぽつ、ぽつ。
 神職の手により、傘灯籠に火が入る。
(「まるで神の、命の燈火」)
 両側を縁取られた参道を人が歩む風情は、川の流れが如く。
(「時も、水の流れも――止まらず。故人を置いて、思い出を置いて、去っていく」)
 此のあかりが、消される時。傘に宿る魂も抜かれるのだろうか。
「難しい事を考えている貌だ」
「――おや、ご挨拶ですね」
 落ち合うや否やの虹の台詞に、朝樹はくくと喉を鳴らし。また、此の世ならぬ光景に、思考を巻き戻す。
 立ち止まったら、寂しがる神に袖を引かれ、魂を抜かれてしまう。
 置き去りにされた心は時の狭間に彷徨い、器の躰のみが先へと進む。
「……なんて、」
 傘灯籠が切り取る闇を映した眼差し。微笑象る横顔を灯りに照らし。朝樹は傘供養の光景を美しいと評し。
(「様々な傘、込められた想いも其々。それらは供養に浄化され、昇華され。いつか、解放される時が来るのなら。私の中の雨も――」)
「また、難しい貌だ。人間なぞ、為るようにしか生きぬのに」
 朝樹の真意を何処まで理解したか分からぬ虹の言葉も、また謎めき。だが勝手に話を終えた女は朝樹の手元の憶えある彩に気付くと、
「私も愛用中だ」
 感謝を笑い、違う風を呼び込んだ。

 雨の始まりに、傘を買い求める市がたち。
 雨の終りに、傘を弔う祭があり。
「ああ――夕暮れ時も見事なものだったが、宵に浮かぶ灯りの癒しもまた、心に沁み入るようだ」
「先刻までの雨と鈴の音色も心癒されるものでしたが――陽に代わって傘の灯が照らし出す雨上がりというのもまた、心洗われるようですね」
 市に誘ってくれた泰明を、今度は雪が祭に誘い。二人は並び、幽玄の一時をゆるり愛でる。
 否、正しくは二人と一匹。雪の腕には、上がった雨にようやく翼を伸ばす絹の姿。まるでそうあるのが正しい組み合わせのように。目に馴染む、優しい絵画のように。
 冬が過ぎ、春を超え。梅雨を渡り、夏へと辿り。
「こうして無事、揃って次なる季節へ歩んで行ける事が……素晴らしき情景と心地を共有出来る事が」
 ――何より、幸せです。
 喉鳴らす絹を撫でる雪の仕草に泰明は表情を和らげ、吐露された幸福に静かに頷く。
「変わらず、共に在れる日々に感謝を」
 でも、でも。雪は。本当は、何処であろうと、何時であろうと。
(「貴方のお傍なれば、」)
 雪の心は、雨知らずの晴れ模様。
 それはまた、泰明も同じ――。

作者:七凪臣 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年7月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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