約束の空

作者:小鳥遊彩羽

 とある森の奥。明るい空の青色を一面に映したような花が一斉に咲いていた。
「ああ、やっぱり、……咲いてたね、今年も」
 そこへ訪れたのは、一人の女性――紫藤・美織(しどう・みおり)。美織は眩しげに目を細めながら小さな花園を見渡し、それから、その場にそっとしゃがみ込む。
 伸ばした手の先で揺れる、小さな水色の花――勿忘草だ。
「お互いに遠くに行っちゃうけど。これから先も、あたしのこと、忘れないでいてくれるかな。……ね、少しだけ、力を分けてくれると嬉しい」
 そう言って、美織が勿忘草を摘もうとしたその時、――大きな『風』が、吹いた。
「……っ」
 風が運んで来たのは、謎の花粉のようなもの。それは一面に咲く勿忘草の、ほんの小さな一輪に取り憑いて――。
「なっ、えっ、うそ……だ、誰か……きゃあああっ!!!」
 一瞬にして巨大化し、攻性植物となった勿忘草は、すぐ側にいた美織へ襲い掛かったのだった――。

●約束の空
 とある森の奥で、攻性植物の発生が確認された。
 攻性植物となったのは勿忘草。そして、勿忘草は傍にいた女性を宿主にしてしまったのである。
 急ぎ現場に向かい攻性植物を倒して欲しいと、トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055) はその場に集ったケルベロス達へ告げた。
「トキサくん……」
「ん、リィンのおかげで、最悪の事態はまだ防ぐことが出来るし、……素敵な風景を楽しむことも出来そうだよ」
 この事件を予期したリィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)はほんの少し不安そうな眼差しでいたものの、意を決したように頷き。
「ほんとう? ……それなら、僕、いっぱいがんばる……!」
 その言葉にトキサも頷いて応え、続く説明に入った。
 攻性植物は一体のみで、配下こそいないものの、勿忘草の可憐な見た目にそぐわぬような悍ましい姿へと変貌を遂げ、女性を体内に取り込んでいる。女性は攻性植物と一体化している状況にあり、ただ倒すだけでは女性も攻性植物と一緒に死んでしまうだろう。
 だが、敵にヒールをかけながら戦うことで、戦闘終了後に、攻性植物に取り込まれていた女性を救出できる可能性がある。
 ヒールをかけても回復できない、ヒール不能ダメージ。それを少しずつ蓄積させ、最終的にそのダメージで敵を倒すという、長期戦が求められる。
 なお、救出が行えるのはあくまでも戦闘終了後だ。戦闘中に宿主と攻性植物を引き離すことは出来ないので、注意して欲しいとも添える。
 一連の説明を終え、トキサは改めてケルベロス達を見やる。
「皆が力を合わせれば、決して負けるような相手ではないし、囚われた女性もきっと救出できるだろう。だから、その後は少しだけ……勿忘草の花園を見てくるのも、いいんじゃないかなって思ったんだ」
 それは、とある森の奥。誰が種を撒いたかもわからないが、決して広いとは言えない空間の一面に、勿忘草が咲いているのだと言う。
 何かを思う人もいるだろう。その時間は、過去を振り返るためにも、前へ進むためにも、きっと必要になる時が、来るかもしれないから。
「可憐な花がいっぱいに綻ぶ風景は、とても幻想的なのでしょうね」
 まだ見ぬ光景に想いを巡らせ、フィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)が微笑むと、トキサは予知に見えた世界を思い浮かべたのか、穏やかに笑ってみせた。
「うん、とてもね。……だから、よければ少しだけ、のんびりしておいで?」
 一面の、青色の世界へと。トキサはケルベロス達を送り出すのだった。


参加者
朝倉・ほのか(フォーリングレイン・e01107)
アレクセイ・ディルクルム(狂愛エトワール・e01772)
ゼノア・クロイツェル(死噛ミノ尻尾・e04597)
リィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
楪・熾月(想柩・e17223)
羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)
楠木・ここのか(幻想案内人・e24925)

■リプレイ

 空を映したような小さな箱庭で生まれてしまったその異形は、まるで自らがそこに戻れないことを嘆き悲しむような咆哮を上げた。
 あるいは、それは仮初めの新たな命を得たことへの歓喜の声だったのかもしれない。
 けれど、その命は決してこの世界にあってはならないもの。ゆえに、ケルベロス達はそれを摘み取るために、勿忘草が咲き綻ぶこの地へ足を踏み入れた。
「その、できれば花園を傷つけたくはありません……」
 朝倉・ほのか(フォーリングレイン・e01107)が控えめに告げるのに、リィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)がうんっ、と頷いて。
「もちろんだよっ、ほのかちゃん。――だから、勿忘草さん、こっちへおいで?」
 リィンハルトが招く声に誘われるように、攻性植物と化した勿忘草が静かに動き出す。
 元の可憐な花の名残は、所々に散らばる青い色だけ。宿主となった女性――紫藤・美織が囚われているであろう場所は不自然なほどに膨らんでいて、リィンハルトは哀しげに眉を寄せる。
「こんなこと、きっと勿忘草さんものぞんでないはずだよ。だから、美織ちゃんはぜったい助け出すの。――勿忘草さんに、ひどいこと、させないからっ」
 見知った仲間が多く、いつも以上の信頼感を胸に。けれど決して油断はしないと改めて心に刻み、リィンハルトは星剣で地面に守護星座を描き、前衛の仲間達の護りを固める。その姿を横目に、楪・熾月(想柩・e17223)はエクトプラズムの護りを加護として、中衛の仲間達の元に送った。
「ロティは敵の注意を引いて、皆を護って。炎は駄目。――頼んだよ」
 その声に応えるように、熾月のシャーマンズゴースト、ロティが非物質化させた爪で攻性植物の霊魂へ一撃を加える。その間にフィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)は避雷の杖を手に、後衛を護る雷壁を編み上げた。
「戦いを始めます」
 その一言で、ほのかの意識が戦場に立つもののそれへと切り替わる。
 慌てず焦らず確実に、約束の空を取り戻すために。
 普段から良く知る顔も多く、ほのかはそれを心強く感じながら、愛用の槍に稲妻を纏わせ力強く踏み込んだ。攻性植物を穿てば奔る光に手応えを感じ、素早くその場を離れると、入れ替わるようにゼノア・クロイツェル(死噛ミノ尻尾・e04597)の黒い影が迫っていて。
(「花園など、俺に似つかわしくない舞台だが」)
 それでもゼノアがこの場に立つことを選んだのは、他でもない、今回の事件の切っ掛けを見出したリィンハルトのため。ゼノアはすぐさま獣化した手足に重力を集中させ、黒猫らしいしなやかな身のこなしで高速かつ重量のある一撃を放つ。
「空木、皆を護ることだけを考えろ。手は出すなよ」
 継続的なダメージを与える技が多いオルトロスの空木にそう指示を与え、御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)は手に馴染む古書を指先でなぞった。
「……来い、くれてやる。代わりに刃となれ」
 書に宿る思念を、蓮は自身の霊力を媒体にして己の身に降ろす。具現化した赤黒い影の鬼が豪腕を振るえば、閃光と共に唸るように巻き起こった雷を伴う風が攻性植物を斬り裂いた。
 小さいながらも静かで青い花園は、美織にとって大切な場なのだろう。
 だからこそ、勿忘草の可憐な姿からは想像もつかぬ異形を在るべき場所へと還し、この地を元の静かな場所へと戻したいと蓮は思いを新たにする。
 すると、大きく体を震わせた攻性植物が大量の青い花を撒き散らしてきた。
 空に舞う、真昼の星のような勿忘草の欠片。前衛に注がれたそれを、蓮と空木、そしてロティが受け止める。
「可憐な花がこのような悲劇を招くなんて、あってはなりません。美織さんを必ず助けだし、花園の平穏も取り戻してみせます」
 隙を突くように、羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)が距離を詰め、稲妻の力を帯びた槍の一突きを重ねた。
 ――私を忘れないで。
(「シルフィードも、似たような心境だったのでしょうか」)
 想いを巡らせながら、楠木・ここのか(幻想案内人・e24925)は捕食モードに変形させたブラックスライムを嗾ける。傍らではテレビウムが皆を応援する動画を流し、心を勇気づけていて。
「さぁ、返していただきます」
 指先の一突きで敵の気脈を断ち、アレクセイ・ディルクルム(狂愛エトワール・e01772)はふと息をつく。
「勿忘草の哀しい恋の逸話。それを繰り返さぬように、彼女を救いましょう」
 ――ねぇ、ロゼ。約束、覚えていますか?
 囁くように紡いだ言葉。その答えを彼女から聞くためにもまずはこの場を切り抜けなければと、アレクセイは真っ直ぐに敵を見つめた。

 囚われた美織を救うため、ケルベロス達は後方からの援護を受けつつ、攻性植物に対し攻撃と回復を繰り返しながらの戦いを続けていた。
「――響くは癒しの雨音、その一雫、ここに」
 リィンハルトの澄んだ声が招くのは癒しの雨音。響くそれが一つの雫となり、勿忘草の青い花が咲き綻ぶ。
「フィエルテちゃん、おねがい!」
「はい、リィンさんっ」
 続いてフィエルテが魔術切開を施せば、攻性植物に更に活力が戻る様子が窺えた。
 傷ついた攻性植物には主にリィンハルトとフィエルテが回復に当たり。そして、攻撃に回るケルベロス達も、己の想いを力に託しながら攻性植物と向き合っていた。
 不意に攻性植物が大きく体を震わせたかと思うと、一点に集めた光を光線に変えて撃ち出してくる。
 標的となったのは、先程から敵の攻撃を引き付けつつ自らも盾として奮戦していた熾月のシャーマンズゴースト、ロティだ。傷ついた身体は既に限界が近かっただろう。だが、序盤から多く付与されていたプレッシャーのおかげで攻性植物の狙いに狂いが生じ、ロティは紙一重で光線を避けることが出来た。
「ロティ、頑張った。――ぴよ、出番だよ」
 熾月はふわりと微笑んで、物言わぬ祈りを捧げ自らの傷を癒すロティを労い、次いで満ちる月を戴く杖で行く先を示す。
 すると瞬く間に元の雛鳥へと変じたファミリアのぴよが、風に乗って勢いよく攻性植物へと飛び込んでいった。一生懸命に動き回るぴよの姿に和んだのは一瞬、今は戦闘中と熾月がこっそり我に返ったのはここだけの話で。
 愛らしい雛鳥の姿に密かにときめきつつ、ここのかが繰り出したのは稲妻突き。
「美織さん、大丈夫でしょうか……」
「大丈夫だと信じましょう。敵はまだ生きています。ですから、美織さんも必ず」
 案ずるここのかにそう告げると、ほのかは大鎌の刃に虚の力を纏わせ、攻性植物を激しく斬りつける。
 紺が放ったのは、熱を持たない水晶の炎。蠢く触手を切り刻んだ煌めきが散るのに合わせ、ゼノアが素早く腕を伸ばした。
「縛り、逃さず、絡みつけ」
 袖口の死角から蛇の如く飛び出したのは、鎖状のエネルギー体。それが忽ちの内に攻性植物へと絡みついて縛り上げ、決して逃さないと言わんばかりに傷口から神経毒を注ぎ込む。
 攻性植物の動きが鈍くなっているのを見ながら、蓮は青蓮華の宿る縛霊手の掌から巨大な光弾を撃ち出した。花を散らす光に灼かれ、苦しげにのたうつ攻性植物を見て、アレクセイは星を紡ぐ。
「その命、貴方に食わせる訳にはいかない」
 ――例え『死』を凌駕しようとも、己の『死』からは逃れられはしない。
 それは星詠みたるアレクセイの密やかな囁きより紡がれる星魔法の一つ。舞い上がる星の煌めきと薬草の香りに反転した死と再生を司る二尾の蛇が、再生から崩壊へと癒すべき傷に毒を塗り侵していく。
 そうして、更に幾度かの攻防が巡った後――。
「そろそろ、だろうか」
 蓮は呟き、暴風を伴う強烈な回し蹴りを放った。
「回復するねっ!」
 リィンハルトが幾度目かの癒しの雫を攻性植物へ送る。だが、切り落とされた触手や散らされた花が再生する気配はなく。
「待っていてくださいね、美織さん。もう少しです……!」
 美織に呼びかけながら、ここのかはマインドリングから具現化させた光の剣を振るう。
「動かないで、拘束します」
 ほのかは瞳に宿した『畏れ』の力で攻性植物を縛り付ける。合わせてフィエルテが魔術切開による手術を施すが、やはり攻性植物が回復の兆しを見せることはなかった。
「……攻性植物からの救助というのは、やはりどうにも面倒なものだな。……仕方ないことだが」
 ゼノアがぽつりと落とし、攻撃の手を止める。振り返った先にいた紺が静かに頷き、攻性植物へと近づいた。
 紺は真っ直ぐに腕を掲げ、告げる。
「消え去りなさい、あなたの世界は終わりです」
 銃のように構えられた紺の指先から飛び出した幾つもの夜色の影は、終わらせるための一手であると同時に、救うための一手。
 影は無数の弾丸となって攻性植物を貫き、撚り合わさった異形の体が青花を散らしながら静かに解けてゆく。
(「――君のことも、忘れないから」)
 勿忘草へ、熾月は心の中に祈りを灯して。
「……お待たせいたしました、美織さん」
 やがて跡形もなく消え去った攻性植物から開放された美織の身体を、紺はしっかりと抱き留めたのだった。

「紫藤さんは、無事ですか?」
 元の、少しだけ臆病な気質を取り戻したほのかの側で、リィンハルトと熾月が美織へヒールを掛ける。
 すると、美織はすぐに目を覚まし、ほのかは大丈夫なら何よりと安堵の息をついた。
 ケルベロス達は彼女に事情を説明し、花園の一部が荒れてしまったことを詫びる。
 周辺を変えてしまわないよう気にかけても、やはりヒールの効果そのものを定めることは難しく。蓮の手で勿忘草と寄り添うように綻んだ花は、勿忘草のそれとは違う、淡い水色に染まっていた。
「――ね、美織ちゃん。大好きな人と離れることになっても、だいじょうぶだよ。勿忘草さんが力を貸してくれるから、きっと二人をつないでくれるよ」
 予知にも多くは見えなかった彼女の事情に深く踏み入るわけでもなく、ただ大丈夫だと、リィンハルトは優しく告げて。
 そこに、熾月が一輪の勿忘草を、美織へと差し出した。
「この花はお守り。忘れたくない想いを繋ぐ絆だよ」
「ありがとうございます。解けないように、……繋いでみせます」
 ケルベロス達の想いが籠められた勿忘草を手に、美織はその場を後にした。

 取り戻した平穏と静寂の中、勿忘草が風に揺れる。
「花言葉は『私を忘れないで』――切ない恋の花と謂われているそうです」
 志苑の言葉に、蓮はふと彼女の横顔を見やり。
「切ない恋の花、……俺には無縁そうだ。……あんたは」
「私もですね。お話で読んだ恋は結ばれた後は婚姻するそうですが、将来の相手が決まっています私は恋には無縁でしょう」
 恋よりも先に決まっている婚姻。それとも、見合いから始まる恋もあるのだろうか。
 遠くを見つめる志苑に、蓮は一瞬不可解な感情を覚え、咄嗟に手を伸ばした。
「蓮水、皆向こうに居る。折角の機会だ、行くか」
「えっ、……御堂さん?」
 答えを待たずに志苑の手を取り、蓮は離れた場所にいる皆の元へ。
 二人の姿に気づいた皆が会釈をしてくるのに返しつつ、蓮は一度志苑の手を強く握った後、ゆっくりと離した。
 その時にはもう、志苑の目に映る蓮は『いつも』の彼で。
「皆、お疲れ。ああ、こっちの用事は終わった。――」
 心に燻った感情は見ないふりをして。戦いを共にした彼らと、暫しの時間を。

「ルヴィルさんのサポート、とても心強かったです」
 そわそわしつつ、ほのかは告げる。こうして共に戦う機会はあまりなく、だからこそ背を並べるというのは特別で、少しだけ恥ずかしくもあったけれど。
 一面の青色。花らしい名前ではない勿忘草の綻ぶ様に、ルヴィルはすごいと感嘆の声を漏らすばかり。
「可愛いな~。小さくて可愛くて、ほのかに似てるな」
「えっ……」
 一緒に見れてお得な気分だとのんびり笑うルヴィルに、
(「小さくて可愛くて、私に似て……!?」)
 ほのかは絶句し、耳まで真っ赤にしていたとか。
 皆から離れた場所で、支援に来ていた陣内とあかりが見つめるのは、空の蒼を敷き詰めたような花々。
「天国って、こんなところだろうか。『彼』は――」
 言いかけて、あかりはゆるく首を振った。傍らで陣内も、もう逢えない人を思い浮かべ、せめてその魂が安らかにいてくれればと願う。
「僕は、前へ進む。彼がくれた名前と共に。――陣、あなたと一緒に」
 顔を上げて視線を合わせたら、精一杯の微笑みを。
「――ありがと。僕と一緒に血と泥に塗れてくれたこと」
 千年先まで、忘れないよ。

 耳を傾ければ、仲間達の楽しそうな声。
(「……これもある種の花見、か。偶には良いものだな」)
 日本に訪れてからは、こんな風に皆との付き合いで花に触れる機会が増えた気がすると、ゼノアは改めて思うのだった。
「俺はリィンと住んでる家族だよ」
 熾月はリィンハルトと親しい人達に挨拶を。
 ファミリアのぴよとシャーマンズゴーストのロティも家族だと紹介すると、
「ぴよさん、ロティさん、この度はありがとうございました」
 紺が丁寧な一礼を労いの言葉に添えて。
「ぴよとロティ……ふむ、分かった」
 軽く触ろうと、ゼノアは伸ばした手の甲にぴょんと乗ってきたぴよを暫し眺めて。
「ほら、ここのかも。ぴよが挨拶したいと言っている」
「わ、良いのですか?」
 少し不安げなここのかに、熾月はふわりと笑って頷き、同時にぴよがここのかの手に飛び移る。
 指先に伝わるふわもふな感触に、ここのかの表情は自然と和らいだ。
「……勿忘草の花言葉は『私を忘れないで』か」
「クロイツェルさんは、花言葉に詳しいのですね」
 ゼノアがふと零した呟きにほのかが応じ、口下手ゆえに聞き手に回っていた紺も同意するように頷いて。
 指先で花弁にそっと触れながら、ゼノアは続ける。
「お前達に、忘れたくない事や約束はあるのか」
 ゼノアの問いかけに、ここのかは思案顔。
「家族や親友のことはもちろん忘れたくないですけど、あんまりドラマチックな思い出とかないんですよね。忘れたいことなら山ほどあるんですが……」
 最後にはどこか困ったような苦笑いを交えつつ、ここのかは何とはなしに思うのだった。
(「……忘れたくないほどの恋人に、運命の人に、いつか出会えたらいいな」)
 一方、ほのかは小首を傾げつつも微笑んで、答えた。
「はい、ひとつだけ。……ディルクルムさんはどうでしょうか?」
 ゼノアから、ここのか、ほのか、そしてロゼと共に皆の後ろを歩んでいたアレクセイへ。
 繋がる問いに、アレクセイも柔く微笑み。
「ええ、勿論。……私はその約束を、願いを叶えます」
 どうかロゼが私のことを忘れても、この愛だけは忘れないように。
 アレクセイの言葉で、ロゼの心の奥深くに仕舞われていた朧気な記憶が、柔らかに輪郭を結び始める。
 鳥籠の中で約束された死を前に、幼いロゼが求めたもの。
 それは、彼女の初めての我儘であり、願いだった。
「色鮮やかな世界を見て、歌いたい。貴方の隣でずっと、生きていたい――どうか離さないで」
 色のなかった少女の世界は愛しい色彩で染められて。
(「――私は忘れない。愛しい日々に愛する貴方を」)
 アレクセイは願いを込めてロゼの金蜜の髪に青の勿忘草を飾り、ロゼの白い首筋にそっと口づけを贈る。
 朱に染まる、淡雪のような白い肌。吹く風が火照りを冷ましてくれることを願いながら、ロゼは青の花に誘われるように静かに歌を紡ぐ。
 ――例え何が僕達を引き裂こうとしても、離しはしない。
 ――私も決して、この手を離さない。

 アレクセイ達の姿に相変わらず素敵だとほっこりしつつ、リィンハルトは一面の青空と、それを映すようなたくさんの青い花を視界に収める。
「まるで空を歩いてるみたいだねっ」
 幸せそうな笑顔にフィエルテもほんわかと頷き。そうしてそこに先程のゼノアの声が届けば、リィンハルトは思案顔。
「きっとこれも忘れたくない思い出になるんだね。だから、――みんなも忘れないでね」
「リィンさん……」
 リィンハルトは勿忘草の青い花弁に手を触れさせながら続ける。
「僕はね、出逢いもお話したことも今の時間も、倒すしかなかったあの子のことも、ぜんぶ、忘れたくない。ね、フィエルテちゃんにもある?」
「私は……」
 問う眼差しに、少し考えるような間。それから、フィエルテはリィンハルトの夕暮れよりも鮮やか色に染まった目を見て、ゆっくりと答える。
「今日のこの時間もそうですけれど……この世界で皆さんと、お逢い出来たことを」
 言っている内に少し照れくさくなってきたらしい娘は、段々と声を小さくしていたとか。
「ねえねえ、ぜっくんは?」
 ゼノアはしばし考えた後、ゆるく首を横に振り、
「俺は、秘密だ」
「えーっ、残念!」
「じゃあ、俺も、有るけど深くは内緒」
 ゼノアの答えに残念がるリィンハルトの側で熾月は唇に指を添え、悪戯っぽく微笑む。
 そうして、ひと時皆から離れた熾月はリィンハルトの手をぎゅっと握りしめて。
「俺は、――忘れないよ」
 あの家で重ねる音も、外での想い出も。
 そして、他の誰でもない、出逢えた君を。凡てを。
「だから、リィンも――」
 忘れてほしくない。その願いだけは潰えて欲しくない。
 答えより先に、握り締めた手に籠められる力。
 隣にいる『きみ』に、重ねる想い。
「――うん、忘れないよ」

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 0
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